各位の寄稿にたいする一当事者折原の応答5
折原浩
(2004年4月18日)
宇都宮京子氏の寄稿(3月4日、補遺3月22日)への応答
宇都宮さん、ご多忙のところを二回にわたり、ご寄稿ありがとうございました。「『コリントT』7: 20問題」につき、周到な読解例を具体的に示されたうえ、そのスタンスを適切に、故世良晃志郎氏と同義の一般的指針に要約してくださいました。拙著『ヴェーバー学のすすめ』と「応答3」で提示した筆者の説を、いったん仮説に戻し、羽入説/牧野説と対比しながら、いっそう多くの具体的データで、いっそう綿密に検証し、妥当と立証してくださったのですから、筆者には間然するところがありません。宇都宮説が、どこでどう筆者説を乗り越えているか、具体的に再確認したうえで、こんどは宇都宮指針を残された一問題に適用し、管見を述べてみたいと思います。
「補遺」のほうから入りますと、
2−1. 「かりにヴェーバーが、『ルターは「コリントT」7: 20のklēsisもBerufと訳した』と認め、主張したのだとしたら、ルターにおけるBerufの用法として、『エフェソ』他の『第一種』(純宗教的な「召し」「招聘」の意味)と、『ベン・シラ』の『第二種』(宗教的意味と世俗的意味とを併せ持つ「使命としての職業」の意味)との他に、まさに『コリントT』7: 20のBerufを『第三種』(やはり宗教的意味と世俗的意味とを併せ持つけれども「召し出された世俗的身分」の意味)として加えたはずである。しかしヴェーバーは、じっさいには『第一種』と『第二種』を認めただけで、『第三種』は加えなかった。ということはとりもなおさず、『コリントT』7: 20はBerufの用例ではないと考えていた証左である」という趣旨のご指摘、――そういわれてみると、目が覚める思いです。自説から導かれ、見つけ出せるはずの証拠に、なぜ自分では気がつかなかったのか、分かってみると不思議にも思えるのですが、よくあることではあります。
2−2. ヴェーバーによる時制の使い分けが、かれの問題設定と著述へのスタンス(自分の論稿を状況に投企し、読者と対話することへの意味づけ)にとって重要であることは、筆者もかねがね考えていました。今回も、争点となっている件の一文――@「終末論的に動機づけられた勧告においてklēsisをBerufと訳出」=過去完了、A「『ベン・シラ』を訳出」=過去、B「ponosをBerufで訳出」=現在完了、の三時制を含む件の一文――にかぎっては、@が過去完了であること、意味内容上パウロ/ペテロ書簡の終末論的勧告に該当すること、というふたつの論拠を挙げて、@の「終末論的に動機づけられた勧告」が、『コリントT』7: 20ではなく、『エフェソ』他の「第一種」を指す、との結論を導いてはいました。
ところが、宇都宮さんは、この時制の使い分けにつき、件の一文のみでなく、そのコンテクストにまで範囲を広げて考え、検証してくださいました。(引用1)の「橋渡し」(現在形)を導入句とし、『コリントT』7: 17〜31を「普及版」と断わってほぼ逐語的に引用しているくだりは、直前の「ルターは『ベン・シラ』11章20節冒頭のdiathēkēにはBerufを用いなかった」(過去形)という趣旨の一文と、直後の(引用2)「ルターは1523年の釈義ではまだ(noch)、klēsisをRufで訳していたし、当時は(damals)、Standと解していた」(過去完了)という趣旨の一文との間に挟まれているわけですね。
そこを、大塚訳は、前後とも「歴史的現在」で、梶山訳/安藤編は、前文を現在形、後文(引用2)を過去形で、それぞれ訳出しています。いずれにせよ、時制の使い分けが訳文だけでは分かりません。原著者ヴェーバー自身は、おそらく「普及版」を手元に置き、その文言とこれを読んでいる同時代の読者を念頭に置きながら、ルターの、旧約外典『ベン・シラ』における(ergon, ponosの訳語としての)Beruf「第二種」用法(「使命としての職業」1533年)と、新約正典パウロ/ペテロ書簡における(klēsisの訳語としての)Beruf「第一種」用法(「召し」「召された状態」1522/23年)とに遡り、主題にかかわる前者を基準時点として過去形、後者をその前段とみて過去完了形、で叙述しています。そうすることによって、同時代の読者が、同時代の語Berufから遡って、「使命としての職業」という語義がルターにおいて創始される現場に立ち会い、そこからまた現在の「普及版」に戻ってこられるように、過去の二時点と現在との間を行ったり来たりしているのでしょう。ところが、邦訳では、ヴェーバーのそうした姿が彷彿としてきません。むしろかれが、「スコラ的歴史家」のように、過去の二時点の出来事を、そのかぎりで取り扱い、したがって本来は当該時点の「原典」を用いるべきなのに、なぜかそれができずに、やむなく現代の「普及版」で代用しているかのように、映し出されます。邦訳者自身は、必ずしもそう解していたわけではないと思いますが、「ヴェーバーの『杜撰』や『詐術』の証拠をなんとしても見つけよう」との先入観をもって臨んだ羽入氏は、そう速断し、それだけで「鬼の首でも取ったかのように」得意になり、自分の危うい解釈をもういちど原文に当たってチェックしようとはしなかったのでしょう。
2−3−1. 冒頭のAberがなににかかるかにかけては、「応答3」でもお断わりしたとおり、宇都宮さんのご教示にしたがいました。ここも、原文ではAberが、@「終末論的に動機づけられた勧告においてklēsisをBerufと訳出」という従属節(主語ルターにかかる形容詞節)ではなく、(A「『ベン・シラ』を訳出」した時点以降の)B「ponosをBerufで訳出」という主節にかかっているのですが、邦訳では、三時点@ABが段階的継起をなすかのように訳されているので、順次@→A→Bにかかる、と受け取られ、@を『コリントT』7: 20に特定する羽入/牧野解釈が誘い出されてしまうのでしょう。
ちなみに、上記の二論点からは、「学問研究においては、邦訳には頼りきれず、どうしても原文に当たらなければならない」という一般的指針が引き出されます。このばあい、梶山訳/安藤編にせよ、大塚訳にせよ、「倫理」論文の邦訳はもとより、優れた訳者による高水準の邦訳といえましょう。それにもかかわらず、いざとなると上記のような問題がじっさいには生じてしまうのですね。としますと、「高水準の両訳にして然りとすれば、ましてや他の標準ないし標準以下の邦訳においてをや」ということになり、「一般に邦訳に頼りきってはならない」という指針が引き出されます。
筆者の世代は、師匠や先輩から、「翻訳では学問はできない」と頭からたたき込まれ、「そんなの『原文権威主義』ではないか、『外国語権威主義』ではないか」と秘かに反撥しながらも、「おとなしくいわれたとおりにして」「習い性になった」というのが正直なところです。しかし、昨今の若い人たちは、そういう「頭からたたき込む」やり方には承服しないでしょう。ただ、外国語をきちんと勉強して原文を読もうとはしない一方、やたらにカタカナまじりの文章を書きたがるのも、いっそう軽薄で中途半端な外国語権威主義のようで、そうであるとすれば困りものですが。それはともかく、この宇都宮寄稿のように、「邦訳に頼ると、どんな点で、どんな具合に原文を読み誤りやすいか」という肝心のところを具体的に解き明かしてくださると、これには若い人たちも納得がいって、外国語をきちんと勉強して原文を丹念に読もうと決心してくれるでしょう。そのうえ、その原文の読み方についても、「パリサイ的といえるくらいの原典主義者で、ドイツ語はもとよりラテン語/ギリシャ語/ヘブライ語にも通じているらしい羽入氏の『世界的な発見』にして上記のとおりとすれば、ましてやわが読解においてをや」というふうに受け止め、慎重に構えてもらえるとよいのですが。
さて、いま一点、件の一文中のdie sachliche Aehnlichkeitをどう捉えるかですが、筆者は、「召し出された現在の状態に止まれ」と「自分の職務に止まれ」というスタンスの類似に力点を置いて解釈していました。これにたいして宇都宮さんは、「現世のすべてを神の与えたもうた状況」と捉える思想が肝要で、これを媒介とすれば、「身分」であれ「職業」であれ、各自が「現世で置かれている客観的状況」は、「事実上sachlich」「神が与えたもうた状況」として本質上互いに「類似しähnlich」、「職業」も「神による招聘の一形態」と見ることができ、「客観的状況」に当てられたBerufを「身分」ばかりか「職業」にも当てられるようになる、と明快に解釈され、説明されました。だからこそ、「神の与えたもうた」身分なり職務なりに忠実に生きようというスタンスの類似も生まれるのだと、思想的媒介根拠という内的前提を取り出して、スタンスの外的様態に傾いていた筆者説のバイアスを是正してくださったわけです。
2−3−2. そしてさらに、ルター以降の翻訳者たちも、そうした思想を共有していさえすれば、『ベン・シラ』につき、ルターの意訳/改訳を(「拒否し」たり「見過ごし」たりするのではなく)継承し、「使命としての職業」という「新しい語義」を定着させ、普及させていくばかりか、『コリントT』7: 20 についても、ルターの訳語Rufを、ほかならぬルターの思想/精神によって乗り越え、これにもBerufを当てることができることになりましょう。当の思想が継承されて、広汎なルター派信徒の間にルターの意訳を受け入れる素地ができ、まさにそれゆえ、それが「誤訳」として「退けられる」ことも、「いわれなき逸脱」「奇妙な不適訳」として「見放され」、「廃れる」こともなく、「新訳の創造」と解され、受け入れられ、引き継がれ、定着し、拡大/普及して、現に読者が手にしている現代のまさに「普及版」にいたっているというわけですね。
たとえばBerufならBerufといった、現に自明性を帯びて通用している語の意味を、そのまま受け入れるのではなく、いったん発生状態に遡って捉え返し、創始後の運命に(上記「新創造」、「拒否」、「廃棄」という)三つの理念型を区別することによって、意訳にともなうリスクを明るみに出すと同時に、それ以降の翻訳(翻訳者)連鎖を「その都度の意味創造」として捉えていこうとするこの構想は、ヴェーバーの研究実践とその潜勢から宇都宮さんが引き出した創見/卓見で、広く「言語にかんする歴史社会学」的研究に有効な指針と作業仮説を提供するのではないでしょうか。このコーナーは、片方の主役である羽入氏が登場せず、目論まれた主対決/主論争としては不発のまま足踏み状態にありますが、橋本努氏の呼びかけに答えて寄せられた論稿のなかに、こうした卓見が現れたことひとつをとってみても、内容上は大きな意義があると思わずにはいられません。
では、こんどは筆者が、この宇都宮指針を引き継いで、残された問題に適用してみましょう。ヴェーバーは、上の(引用2)に明記しているとおり、ルターが1523年の釈義ではklēsisをRufと訳し、Berufとは訳出していなかった事実を、確かに知っていました。また、ルターにおけるBerufの用法につき、時期を限定せずに二種類を区別し、「第一種」として『エフェソ』他の該当個所を列挙しているのに、そこに『コリントT』7章は含めていません。『コリントT』については、1: 26を含めていますが、この箇所は、ルターの初訳(1522年)ではRufだったのが、1526年度版の第二版からBerufに改訂されています(拙著、129ページ、注17、参照)。ですから、ヴェーバーが1526年度版の第二版以降のなんらかの版を使って、「第一種」の用例を調べたとしますと、1: 26を含めたのは、必ずしも引用ミスではなかったことになります。ただ、正確を期するとすれば、初期(1522〜26年度第一版)にはまだRufであった旨を注記しなければならなかったでしょう。この「1526年度版の第二版以降の版」とはいつの版か、また、(ヴェーバーは、ルターが生涯にわたって聖書翻訳の改訂をつづけたこと自体は当然承知していたでしょうから)厳密にいえばルターの没年(1546年)にいたるまでの全版を網羅的に調べ上げる必要があったわけですが、はたしてそうしたのかどうか、(そこまではしなかったとして、では)どこまで調べたのか、などのことは、いまのところはっきりしません。しかし、時期を限定しない「第一種」の用例挙示に、『コリントT』7: 20は含めなかった事実から、「この箇所はルター没年にいたるまでBerufではない、1523年のRufが改訂されず、そのまま残されていた」と判断していた蓋然性が高い、と推認されましょう。
では、ヴェーバーはなぜ、そのことに触れなかったのでしょうか。この問題について、宇都宮さんは「むすび」で、「……上記のように解釈すれば、触れる必要がなかったことも確かであると思われるし、またもっとありそうな理由として、ruffと訳されていたことを書くことによって、却って論旨が分かりにくくなる可能性があると判断したということも考えられる。もし、後者の理由であったとしても、それは、杜撰さや知的不誠実性によるのだとは言われないであろう」と結論づけておられます。
さて、そこのところ、もう少し立ち入ってみると、どうだったのでしょうか。こんどは筆者が、宇都宮指針から、「触れる必要がなかった」という説を導き、その証拠を突き止めて、お返しをする番です。
この間、羽入書の「衝撃力」に幻惑され、「全論証の要」との独断に引きずられたのか、数あるヴェーバー著作のなかから「倫理」論文一篇、それも第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」、しかもその冒頭に見られる三注のひとつに、いきなり飛び込み、当該注があたかも独立の論文、しかも主要論文であるかのように、そのなかの二三の論点に無条件/無制約/に没頭し、些事拘泥/針小棒大というほかない議論が繰り広げられてきました。しかし、テクスト読解にあたっては、本文と注とを区別し、注は注として、それがそもそも、本文のいかなるコンテクストで、いかなる論点に付され、どんな趣旨の敷衍ないし補足をなすのか、本文そのものからいかなる限定を被っているのか、よく確かめてから、またよく確かめながら読まなければなりません。こういうことは、テクスト読解法のイロハに属することで、一般論としてはだれも否定しないでしょう。しかし、今回の羽入書事件は、そうした基本が、ばあいによっては専門家によってさえ、いとも容易に無視され、忘れ去られるという脆弱な学問風土を、はしなくも露呈したといわざるをえません。
しかし宇都宮さんは、当該の(なるほど、注記にしては並はずれて長大で、内容も圧縮されて豊かですから、独立の論文に見立てる理由もなくはない)注記を、正しく本文のコンテクストに戻して読まれました。原文には、「今日の意味におけるこの語[Beruf]das Wort in seinem heutigen Sinnは、聖書の翻訳に由来し、しかもそれは原文の精神ではなく、翻訳者たち[複数]の精神に由来している[現在形]」(GAzRS, T, S. 65)とあって、この一文の末尾に注1(邦訳では注2)が付されています。そのあと、「この語[Beruf]は、ルターの聖書翻訳において、まず初めにzuerst『ベン・シラ』のある箇所(11章20/21節)で、われわれが今日用いているのとまったく同じ意味でganz in unserem heutigen Sinn用いられているように思われる」(a. a. O.)との一文がつづき、これにも末尾に注2(邦訳では注3)が振られているわけです。宇都宮さんは、羽入氏が折角、翻訳者が複数であることに着目しながら「ヴェーバーが重視しているのはルターただひとり」と速断した点を批判し、ルター以降の翻訳連鎖も視野に収め、注記内容が、本文のこの趣旨を過去の経緯に遡って具体的に解き明かし(Berufの語義が、いかなる形で「翻訳者たちの精神」に由来し、今日におよんでいるか」の問いに答え)、本文を補完している(本文と注との)意味関係を的確に復元されました。
ところで、本文と注との関係をいま一歩立ち入って検討しますと、なるほど上記の注記内容が(邦訳の)注2に出てくるのであれば、宇都宮説は意味上厳格にも整合的といえましょう。しかし、それがじつは(邦訳の)注3に出てくるのです。注2はといえば、注3にくらべてはるかに短く、しかも翻訳者たち、翻訳者群像ではなくて、もっぱら「アウグスブルク信仰告白」を取り上げ、そこでは「この[「使命としての職業」という]概念が、部分的にしか展開されず、公然と表明されてもいない」(GAzRS, T, S. 65 Anm.)と、消極的な位置づけを与えるばかりです。念のために申し添えますと、「アウグスブルク信仰告白」とは、1530年のアウグスブルク国会で、ルターの盟友メランヒトンが読み上げたプロテスタント派の信条ですね。ルター自身は「法律的保護停止刑」を受けている身で、この国会に出席できず、ザクセン選帝侯領最南端のコーブルク城に長期滞在して、メランヒトンと手紙で頻繁に連絡をとる以外なすすべがなく、そうした間接的関与に止まらざるをえませんでした。ヴェーバーによれば、たとえばその16条は、「世俗の政府、警察、婚姻などのいっさいを、神の秩序Gottes Ordnungとして尊重し、各人がそうしたもろもろの身分Ständeにあって、キリストの愛と善行とを、その»Beruf«に応じて証しすべし」と要求しているけれども、このばあいの»Beruf«とは、(ラテン語版ではたんに「そうしたもろもろの身分[神の秩序としての政府、警察、婚姻など]にあって、善行をなせin talibus ordinationibus exercere caritatem」としか記されていない事実からも推認されるとおり)少なくとも第一義的には「『コリントT』7: 20の意味における客観的秩序objektive Ordnung im Sinn der Stelle T Kor. 7: 20」に当たり、まだ「世俗的職業」は指していない、というのです。
ところが、「アウグスブルク信仰告白」のそうした「限界」が確認されますと、そこからはただちに、では、数ある翻訳者のうちでも、メランヒトンら「アウグスブルク信仰告白」の起草者ではなく、ルターが、しかも直接に関与して「使命としての職業」という概念を「(部分的にでなく)全面的に展開し、(黙示的にでなく)明示的に表現する」のはどこか、という問いが発せられます。そしてヴェーバーは、この問いに答えて、それこそ三年後(1533年)の『ベン・シラ』11: 20, 21の翻訳においてらしいと、上述のとおり本文に明記し、そのうえで、その詳細な歴史的経緯は注3に送り込む手筈を採ったわけです。
こうした脈絡を念頭に置いて注3を読み返してみますと、じつはそのなかにも、しかも重要な箇所に、「アウグスブルク信仰告白」への論及があります。例の三時制を含む一文のあとには、改訂時の挿入をとばすと、つぎのように書かれています。
「その間(あるいは、ほぼ同時期の)1530年には、アウグスブルク信仰告白が、プロテスタントの教理を確定し、カトリックの――世俗内道徳を[たんに「命令praecepta」のみを守る「大衆倫理」として]蔑視し、修道院における[「福音的勧告consilia evangelica」にもしたがう]実践によって凌駕すべしと説く――教理に無効を宣していたが、そのさい『各人には、それぞれの»Beruf«に応じて』という言い回しが用いられていた[過去完了](前注[注2]を見よ)。[@]このこと[アウグスブルク信仰告白が(Rufではなく)Berufを用いていたこと]と、[A]まさしく30年代の初葉に、生活のすみずみにもおよぶ、まったく個別的な神の摂理にたいするルターの信仰が、ますます鋭く精細に規定される形態をとるようになった結果、各人の置かれている[個別の]秩序を[したがって「身分」よりもさらに個別的な「職業」をも]神聖なものとして尊重するかれの捉え方が、本質的に強まってきたこと、それと同時に、[B]世俗の秩序を、神が不変と欲したまうた秩序として受け入れようとするルターの[伝統主義的]傾向が、ますます顕著になってきたこと、――これら[@AB]のことが、ここで[『ベン・シラ』11: 20, 21で]ルターの翻訳に現れている[現在形]。»Vocatio«とは、まさに伝来のラテン語では、神聖な生活への、とくに修道院生活あるいは聖職者生活への神の召命/招聘Berufungという意味で[それだけに限定して]用いられていた[過去完了形]が、ルターのばあいには、かの[修道院実践による世俗内道徳の凌駕を説くカトリックの教理を無効と宣して、世俗内道徳をこそ重視する、上記プロテスタントの]教理の圧力を受けて、世俗内の『職業』労働が、そうした[従来は修道院生活あるいは聖職者生活への招聘に限定されていた、神による]召命/招聘の色彩を帯びた[過去形]のである」(GAzRS, I, S. 68、梶山訳/安藤編、143-4ページ、大塚訳、106-7ページ)。
一見、注2と注3とでは、「アウグスブルク信仰告白」にたいする評価が、消極的から積極的へと変わっているようにも見受けられます。しかし、じつはそうではありません。なるほど「アウグスブルク信仰告白」では、一語»Beruf«にかぎれば、その意味は「客観的秩序」「客観的状況」の域を脱してはいなかったでしょう。しかしそこで、プロテスタントの教理が公に宣言され、世俗内道徳にたいするカトリック的貶価が退けられた意義は大きく、世俗的道徳を実践する場としての「職業」が、それだけ浮上し、宗教的意義を帯びてきます。三年後の『ベン・シラ』訳では、まさにそうした「教理の圧力を受けて」、いまやその「職業」にも(これにこそ)»Beruf«が当てられ、ここに初めて、聖俗二義を併せ持つ「使命としての職業」を表す語Berufが誕生するというわけです。しかも、メランヒトン、ルターらの宗教改革は、スコラ的な語義/語形論争ではなく、強大なカトリック勢力を向こうにまわして民衆や諸侯の心を捉えようとする社会運動であり、熾烈で尖鋭な社会的闘争でした。したがって、「アウグスブルク信仰告白」でいったん公に登録され、語義としても一歩手前まできていた»Beruf«を捨ててRufに差し替える理由も必要もなく、かりにだれかがそうした提唱を試みたとすれば、「運動/闘争にとって無意味であるばかりか、無用の疑義と混乱をまねく」として退けられたにちがいありません。
とすると、ではなぜ「アウグスブルク信仰告白」で、Rufでなく»Beruf«が採用され、公に登録されたのか、と一時点遡って同じ問いを問うことはできましょう。この問いは、厳密にいえば、1530年以前の資料、たとえばメランヒトン−ルター書簡を調べて究明すべき、独立別個の問題で、ここで立ち入るわけにはいかず、(多分)未解決の問題として「開いておく」ほかありません。が、おそらくは、カトリックの勢力/その教理と対抗して、プロテスタントの教理と、この教理に整合する秩序観/身分観を強く打ち出すには、Rufよりも相対的に強勢をともなう語形Berufのほうが、インパクトがあって、運動に適合的と判断されたのではないでしょうか。
他方、Rufについては、ルター以前のドイツ神秘家タウラーに、農民のRufを聖職者のRufと対比して遜色がないものと評価する用例が見いだされるそうです。この事実には、ヴェーバーが同じく注3の、少しまえのところで論及しています(拙著、75-6ページ、参照)。しかし、「この語Rufは、この[タウラーが用いた、世俗的職業の]意味では、世俗語のなかに入り込んではいかず、現にその意味で用いられてはいない[現在完了]」というのです(現代ドイツ語の辞書類を調べても、Rufの見出しのもとに「職業」の語義は見いだせません)。ルターも、なるほどタウラーらドイツ神秘家の影響を受け、『キリスト者の自由』他に、思想的に響き合う箇所があって、語Rufのタウラー的用法を引き継いでもおかしくはなかったと思われるのですが、じっさいにはそうしませんでした。けっきょくのところ、タウラーのRufは、宇都宮作業仮説にいう「早過ぎた」「変則的逸脱」として「注目されず」、ルター初め受け継ぐ者がなく、Berufが「新創造」として受け入れられていくかたわらで「廃れて」いった、ということになります。ヴェーバーが、注3の上記箇所で、わざわざタウラーの先行例に論及したのは、まさにこの点を上記のとおり確認しておく必要があったからでしょう。したがって、「使命」という宗教的意味あいを帯びる「世俗的職業」という語義のかぎりでは、ルターにおいても、ルター派においても(ここではさらに『コリントT』7: 20からも排除されて)廃語となったRufの歴史的運命は、「現に『使命としての職業』という意味で用いられている語にかぎって、語義の由来を問い、現在にいたる翻訳連鎖も見通しておく」という本文の趣旨(注記に送り込まれる課題の限定)からも、もとより、現に語Berufで表現される「職業義務観」の歴史的由来を問い、宗教的背景に遡ってその成立経緯と(「禁欲的プロテスタンティズム」における)「合理的禁欲」への転態の諸相とを解明/説明するという「倫理」論文全体のテーマ設定/「全論証構造」からしても、それ以上詮索する必要がなかったといえましょう。
宇都宮さん、いかがでしょうか。宇都宮指針/作業仮説を、その潜勢を含めて継受し、「Ruf問題」に適用して、その有効性を例証することができていますでしょうか。
それはともかく、宇都宮さんが、その周到にして緻密な論証のスタンスを一般的に要約しておられる箇所は、ここに引用し、繰り返し強調するに価すると思います。
「もし、本当に知的不誠実さを立証しようとするのならば、まず、相手が、100%知的に誠実であると前提して検証を進め、なるべく相手の文脈に沿って正確に理解しようとあらゆる努力をし、それでも問題が生ずるときに初めて、そこに不誠実さが介在したと判断すべきだろう。」
「細かい点では、ヴェーバーに全くミスがなかったとは言わないが、それでも、『なぜ、ここでヴェーバーは、表現を変えたのか』というように、理由なくしては、ヴェーバーは、いい加減な用語の変更はしない、という前提のもとに研究を進めてきた。そして、その結果として改めて、彼のなるべく厳密に論を進めようとするヴェーバーの姿勢を確認するということもしばしばあった。それは、ヴェーバーの権威に寄りかかろうとしているわけではなく、ヴェーバーの知的誠実さを前提にしているというだけのことである。また、私は、ヴェーバーだけでなく、どのような研究者の業績を研究対象とする時も、その研究者を、まず知的に誠実であると想定して、そこから研究を進めたいと思っている。」
まずは相手の誠実性あるいは論理性を前提とし、「己をむなしゅうして」相手に迫ろうとすればこそ、相手の真価を学ぶことができるし、(ばあいによっては)相手の不誠実も矛盾も見抜き、論証することができる、この「対象に就く(Sachlichkeitの)」精神こそ学問の真髄であり、そうした謙虚さこそがじつは強さである、というこの一見逆説的なスタンス――これを、このコーナーにアクセスされている若い学生/院生諸君には、ぜひ二篇の宇都宮寄稿から学び取り、会得していただきたいと思います。
そのスタンスは、筆者が、金子武蔵、世良晃志郎といった優れた先達から学んだことでもあります。そして、筆者は、このスタンスを、みずから「ヴェーバー『経済と社会』全体の再構成」という学問研究に活かそうと精進しながら、ヴェーバー他、古典文献の読解ゼミを通して、広く学生/院生諸君に会得してもらおうと努力してきました(そういうゼミにかつて付き合ってくださった丸山尚士氏から、このコーナーにも寄稿していただいて、筆者はとてもうれしいです)。というのも、こうしたスタンスにもとづく明晰で強靱な批判的思考/思考力が、学者/研究者のみでなく、世の政治家/外交官/ジャーナリスト/弁護士/社会運動家などに広く普及していけば、テロを(テロとし、国際犯罪として、限定的に対処するのでなく、無概念/無論理に)「新しい戦争」と称して闇雲に拡大報復/侵略戦争に乗り出すような、愚かで傲慢な手合いに、いちはやく歯止めをかけ、追随して振り回されることなく、振り回されつづけることなく、健やかに生きられるにちがいありませんから。
(2004年4月18日)